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football

【1999年以降】J1初昇格(初参戦)した1年目の各クラブの勝点と成績

こんにちは!へいちゃん(@kohei55net)です!

1999年シーズンからJリーグが2部制になって以降、J2からJ1へ始めて昇格した時に、どれくらいの勝点をあげて、最終的にどれくらいの順位で終えたのか。また、その年に「残留」に成功したのか、あるいは1年で「降格」してしまったのかを調べてみました。

ただし、当時はまだJ1も16チームの時代で、現在のようにJ1が18チームになったのは2005年シーズンから。2004年シーズン以前は、現在とレギュレーションも異なるため、参考情報程度にご理解ください。

Jリーグが2部制になる以前にJ1に加盟した経験を持つクラブ、例えば、湘南、柏、磐田、福岡、神戸、京都、札幌などの「セカンドオリジナル7」(横浜フリューゲルが消滅したため、オリジナル9+上記7クラブ)については、あまりにも今とは色々な面で状況が異なるため割愛させて頂きました。

1999年

この年から、Jリーグに2部制が導入されました。

この記事では、この年の翌年2000年を1つの区切りと考え、それ以降を対象にすることにしました。「それ以前」も対象にいれるべき、という考えもあるかもしれません。

ただ、私としてはJ1とJ2という同じJリーグ加盟クラブによって構成された入れ替えのある1999年以降を、ベースとして考えるのが適切ではないか、という考えに至りました。

また、2000年~2004年はJ1は16チームによる30試合開催(ホーム15試合、アウェー15試合)でしたので、現在のレギュレーションと全く同じものを比較対象とするなら、厳密に言えば、2005年以降の数字がより適切ではないかな、と思います。

そこは意見が分かれるところかもしれません。あくまで、参考程度にご理解頂けると幸いでございます。

2000年(16チーム・30試合)

その当時は、リーグ戦で延長戦が導入されていました。

当時は、90分で決着がつかない場合は、延長戦が行われていました。その場合、延長戦で勝利すると、勝点が2与えられ、敗戦すると0でした。戦略的に延長に持ち込むという監督の思惑はあったと想像しますが、現在のルールに照らし合わせて考えてみると、「延長戦=引き分け」と考えました。

FC東京 7位

・12勝1分14敗+3延長勝 勝点43
・実質は、勝点40に相当
残留

前年J2で2位(自動昇格)。J1初年度は残留に成功。大熊監督のもと、アマラオと川崎からレンタル移籍のトゥットのブラジル人コンビで得点を量産、残留に貢献した。

FC東京は2010年に一度J2に降格するも、2011年に1年でJ1復帰以降は、J2への降格はない。

J1・J2遍歴

  • J1 2000年~2010年(11年)
  • J2 2011年(1年)
  • J1 2012年~

川崎フロンターレ 16位(最下位)

・3勝4分19敗+4延長勝 勝点21
・実質は、勝点17に相当
降格

前年J2で優勝。今でこそJ1屈指の強豪となった川崎フロンターレだが、J1デビュー当時は辛く苦しい船出だった。初のJ1に挑むにあたり積極的に補強を敢行したものの、現場・フロントの混乱が表面化し、それに呼応するかのように成績も伸びず。

川崎が再びJ1に戻ってくるまでに5年の月日を要することになる。その後の川崎フロンターレの躍進ぶりはご存知の通り。

J1再昇格後は、ブラジル人FWジュニーニョを中心にカウンターを主体としたチームだったが、風間監督が就任して今の原型を作りあげると、バトンを受けた鬼木監督が見事なバージョンアップを行い、クラブを優勝に導いた。さらに2018年には、2連覇を達成した。

Jリーグが2部制になって以降にJ1に昇格したクラブの中で、川崎フロンターレが初めてJ1で優勝したクラブとなり、現在最も成功しているクラブと言っても過言ではないです。

J1・J2遍歴

  • J1 2000年(1年)
  • J2 2001年~2004年(4年)
  • J1 2004年~

2002年(16チーム・30試合)

ベガルタ仙台 12位

・9勝1分18敗+2延長勝 勝点32
・実質は、勝点30に相当
残留

前年J2で2位(自動昇格)。東北地方初のJ1クラブとなった2002年。清水秀彦監督率いる1年目は、日韓W杯による中断前まではチームは好調だった。中断明け後は、嘘のように勝てなくなり、波のあるチームだった。この年は残留したものの、2003年には清水監督解任に伴い、ベルデニックを招聘するも、チームの地盤沈下は止めれず降格。降格の兆しは、2002年にすでに現れていたのかもしれない。

リオ五輪代表監督を務めた手倉森監督2年目の2009年にJ2初優勝。6年のJ2生活を経て、再びJ1に返り咲いたのが2010年。手倉森監督退任後、2014年にアーノルド監督が就任するも成績不振で解任。現監督の渡邉晋が立て直し、現在に至る。

J1・J2遍歴

  • J1 2002年~2003年(2年)
  • J2 2004年~2009年(6年)
  • J1 2010年~

2003年(16チーム・30試合)

大分トリニータ 14位

・5勝11分14敗 勝点26
残留

前年J2で優勝。大分にとっての「J1元年」を率いたのは、3年目となる小林伸二監督。今でこそ「J1昇格請負人」と評される小林だが、始めてJ1に昇格させたのがこの大分トリニータというクラブだった。

前線を外国人選手に頼っていたため、ロドリゴ、アンドラジーニャらが思ったほど活躍できず苦しんだ。最終節で残留争いのライバルだった仙台との戦いをドローに持ち込み、なんとか残留を決めた。

紆余曲折を経て、ついに2019年にJ1の舞台に帰ってくる

J1~J3遍歴

  • J2 1999年~2002年(4年)
  • J1 2003年~2009年(7年)
  • J2 2010年~2013年(3年)
  • J1 2013年(1年)
  • J2 2014年~2015年(2年)
  • J3 2016年(1年)
  • J2 2017年~2018年(2年)
  • J1 2019年~

2004年(16チーム・30試合)

アルビレックス新潟 10位

・10勝7分13敗 勝点37
残留

前年J2で優勝。2001年に就任した反町監督が3年目にJ1昇格を果たす。ファビーニョ、エジミウソン、オゼアスのブラジル人3人でチームの総得点の6割を叩き出し残留に貢献。

2017年にJ2降格が決まるまで、14年にわたりJ1に残留し続けた。

J1・J2遍歴

  • J2 1999年~2003年(5年)
  • J1 2004年~2017年(14年)
  • J2 2018年~

2005年(18チーム・34試合)

大宮アルディージャ 13位

・12勝5分17敗 勝点41
残留

2005年から現行の18チームによるホーム&アウェーの合計34節になった。

前年J2で2位(自動昇格)。J1昇格に導いた三浦俊也監督が率いた。三浦監督が作り上げるチームの特徴である「堅実さと組織力」をベースに新加入の藤本主税やレアンドロ、トゥットらが活躍した。

J1・J2遍歴

  • J2 1999年~2004年(6年)
  • J1 2005年~2014年(10年)
  • J2 2015年(1年)
  • J1 2016年~2017年(2年)
  • J2 2018年~

2006年(18チーム・34試合)

ヴァンフォーレ甲府 15位

・12勝6分16敗 勝点42
残留

前年J2で3位(柏との入れ替え戦に勝利してJ1昇格)。
弱者なのに、今風で言うと「ボールを握る」チームはこの甲府が初めてだったかもしれません。

誰もが降格するであろうと予想する中、予算規模で大きく劣る甲府が、J1初年度に勝点42を獲得したことは大きなトピックだった。また、FWバレーの存在感が際立っていた。

J1・J2遍歴

  • J2 1999年~2005年(7年)
  • J1 2006年~2007年(2年)
  • J2 2008年~2010年(3年)
  • J1 2011年(1年)
  • J2 2012年(1年)
  • J1 2013年~2017年(5年)
  • J2 2018年~

2007年(18チーム・34試合)

横浜FC 18位

・4勝4分26敗 勝点16
降格

前年J2で優勝。J2で優勝した2006年、横浜FCのツートップは、カズと城でした。2節から指揮を取り始めた高木監督(現長崎監督)が見事に横浜FCを初のJ1に導きましたが、2007年シーズン途中で解任。

チームもわずか4勝を挙げることが精一杯。1年でJ2へ降格。それ以降はずっとJ2。

J1・J2遍歴

  • J2 2001年~2006年(6年)
  • J1 2007年(1年)
  • J2 2008年~

2009年(18チーム・34試合)

モンテディオ山形 15位

・10勝9分15敗 勝点39
残留

前年J2で2位(自動昇格)。2002年に大分トリニータをJ1に昇格させた小林伸二監督が、「2つ目のクラブ」としてJ1昇格に導いた。

前線を外国人に頼ることなく、日本人を主力によく組織化された堅守が機能。勝利数は10ながら、9つの引き分けでコツコツと勝ち星を拾った。戦力的に劣るチームながら、負けない戦い方で初年度残留を見事に達成した。

J1・J2遍歴

  • J2 1999年~2008年(10年)
  • J1 2009年~2011年(3年)
  • J2 2012年~2014年(3年)
  • J1 2015年(1年)
  • J2 2016年~

2012年(18チーム・34試合)

サガン鳥栖 5位

・15勝8分11敗 勝点53
残留

前年J2で2位(自動昇格)。J1初年度ながら、勝点53の5位でフィニッシュしたのは過去最高の記録。未だにこの数字は破られていない

ビッグネームはせいぜいFWの豊田陽平くらいで、全国的には名の知れた選手はいなかったものの、圧倒的な走力を武器に一時は3位まで順位を上げるなど、昇格組として大きな成功を収めた。豊田は19点を挙げベストイレブンに選ばれた。

過去最強の昇格組、といえる。

鳥栖がすごいのは、本当に街が小さいのに、これだけすごい数字を出したことと、その後2018年シーズンまで続けてずっとJ1に残留し続けていること。

お見事とか言いようがありません。ちなみに、J1昇格後、1度も降格していないクラブもサガン鳥栖のみ。

J1・J2遍歴

  • J2 1999年~2011年(13年)
  • J1 2012年~

2014年(18チーム・34試合)

徳島ヴォルティス 18位

・3勝5分26敗 勝点14
降格

前年J2で4位(プレーオフを勝ち抜いた)。徳島にとっての「J1・1年目」は、上級生から体格や体力の差をまざまざと見せつけられてしまった、後味の悪い記憶となっているだろう。

大分、山形をJ1に昇格させてきた小林伸二監督をもってしても、圧倒的なチーム力の差は埋めようがなかったのが現実だった。

すべての節において最下位で、ホームでは未勝利。J1初年度のクラブとしては、ワーストの勝点14だった。
徳島のこれからに期待したい。

J1・J2遍歴

  • J2 2005年~2013年(9年)
  • J1 2014年(1年)
  • J2 2015年~

2015年(18チーム・34試合)

松本山雅FC 16位

・7勝7分20敗 勝点28
降格

前年J2で2位(自動昇格)。松本山雅FCにとっての初のJ1は、残留まであと1歩の16位だった。序盤は勝点を積み上げたが、後半戦で7連敗などが響き、勝点を伸ばすことが出来なかった。連勝もあれば、連敗もあるという降格してしまうクラブにありがちな安定した戦いをすることが出来なかった。

2014年の徳島に続き、J1初昇格クラブは2年連続で、1年でのJ2落ちの憂き目にあった。

2015年の降格から3年。2018年のJ2で、見事優勝を飾った松本山雅FC。2019年は、4年ぶりとなるJ1を舞台に戦うことになる。

J1・J2遍歴

  • J2 2012年~2014年(3年)
  • J1 2015年(1年)
  • J2 2016年~2018年(3年)
  • J1 2019年~

2018年(18チーム・34試合)

V・ファーレン長崎 18位

・8勝5分20敗 勝点30
降格

前年J2で2位(自動昇格)。近年稀に見る、というより過去のJ1の最もハイレベルな残留争いとも言われていた2018年のJ1リーグ。そんなハイレベルな残留争いを巻き起こしている張本人が、このV・ファーレン長崎だった。

2017年シーズン、クラブは経営難に陥りクラブの存続も危ぶまれる中、火中の栗を拾いあげたのが、元ジャパネットたかたの高田社長。

奇跡ともいえるJ1昇格を果たしたあと、クラブは初めてのJ1を戦った。前半戦はまずまずの勝点を獲得したが、W杯中断以降に勝ち星を拾えなかった。五分五分のゲームをした中で、残留を決めるだけの武器を最後まで持ちえなかった。

2023年にはサッカー専用スタジアムの竣工に向けて動き出している長崎。2019年から再びJ2が舞台になるが、手倉森監督ととに1年でのJ1復帰を目指している。

J1・J2遍歴

  • J2 2013年~2017年(5年)
  • J1 2018年(1年)
  • J2 2019年~

サガン鳥栖はもっと称賛されるべき

ご覧頂いたように、J1が18チームになった2005年以降で、最も優秀な「1年生」は、2012年のサガン鳥栖であることがわかった。

その後、プロビンチャとしてもうJ1を舞台に7年連続で戦っていることはもっと称賛されてしかるべき事実だと思う。(フィッカデンティがイタリア人なだけにプロビンチャという言葉がしっくりくる。プロビンチャは予算規模の小さい地方のスポーツクラブ、というイタリア語。)

鳥栖はこれまでに何度もクラブ存続の危機に瀕していた経験を持っているので、例え、残留争いに巻き込まれようとも、当時を知るサポーターからすると、それでもある意味で幸せなことなのかもしれない。(何言ってだこの野郎って感じる人がいたらごめんなさい。)

私は普段、20年近く住んでいる福岡や生まれ故郷の長崎を応援しているが、成績やサッカーの中身が良いに越したことはないけれども、応援するクラブがあることが何よりの幸せだと思っている。

さて、2005年以降の各クラブの成績を見てきたわけだが、意外だったのは、鳥栖以外にも大宮(2005年)、甲府(2006年)、山形(2009年)もシーズン10勝以上をあげて勝点40前後で残留を決めていたこと。

J1昇格初年度は、各クラブにとっては「鬼門」だと思っていたが、どちらかというと、2005年以降、J1初挑戦の経験のある7クラブのうち半数以上が残留していた。

もちろん、1年残留するのは大変なことだが、それ以上にJ1に定着することのほうがさらに難しいことは改めて言うまでもない。

まとめ

この記事を書こうと思ったのは、J1が18チームになった2005年以降で、J1に初めてチャレンジした各クラブの成績がどれくらいのものなのか気になったのと、長崎は過去のJ1初挑戦のクラブと比較しても「かなり頑張っている方」ではないか、と思ったからだった。

でも、ほとんどのクラブは1~2年で降格している中で、唯一残留し続けているのは、経済規模的にも小さい地方クラブのサガン鳥栖だけだった。

2018年も成績が伸びず、鹿島から金崎夢生、フェルナンド・トーレスなどビッグネームを連れてきてなりふり構わず残留を目指した。最終的に、監督のフィッカデンティ監督まで更迭し、なんとか降格を阻止した。

しかし、ここまで残留が難しかった年はないかもしれない。紛れもなくこの10年近く九州を引っ張ってきたのはサガン鳥栖。

できれば、福岡、長崎も早めにJ1に昇格して、鳥栖とともに九州から日本サッカーを盛り上げていきたいところ。

ABOUT ME
kohei55
「サッカーだけじゃない!」ブログ管理者。サッカー、習慣化、長期投資、コミュニケーションなどのテーマで幅広く書いています。