こんにちは!へいちゃん(@kohei55net)です!
毎日の仕事に「やる気を感じられない」や「モチベーションが上がらない」と、メンタルのコントロールなどで苦しんでいたり、困ったりしていませんか。
日曜日の昼過ぎから月曜日のことを考え始め、ついつい憂鬱になってしまう。
「明日会社行きたくないな・・・」と感じる時に、「どうしたらやる気がでるんだろうか?」と悩んでいるなら、それはモチベーションに依存した状態で仕事をしようとしているのかもしれません。
あくまで個人的な考えというのが前提ですが、「他者から与えられるモチベーション」ではなく、「自分の中で湧き上がるやる気」で仕事に向か合うほうが良いのではないか、という内容とその簡単な考え方を書いてみました。
毎日の仕事との向き合い方に苦しんでいる方に少しでも参考になれば幸いです。
モチベーションは発火剤に過ぎない。
昔は、思えばモチベーションとの付き合い方を知らなかったと感じています。
例えば、周りに刺激的な話を聞いたら一時的に感情が昂ぶりすごくやる気になる。
あるいは、テレビや本などで興味のある情報を手に入れると、すごく気持ち良くなって何でもやれそうな気分になる。
とにかく、「瞬間的」に「外的な刺激」って中毒性があって、気持ち良いんですね。
「オレもやらなきゃな!」「頑張らなきゃな!」っていう風に気持ちが高ぶります。
モチベーションという発火剤で燃えるような火が体内で燃えたぎります。
ただ自分の場合の課題として、肝心の中身がなかいことでした。
着火剤や発火剤はあっても、燃えたぎる火をずっと消えない灯にするための「原材料」がないんですよね。
だから、結局何をしていいのかも分かっていないし、どうしたいのかも分かっていなので、発火剤で一時的に火はつくけど、灯になる前に、すぐにその火は消えちゃうんです。
モチベーションに依存すると、またやる気がなくなっていつもの状態に戻ってしまうのはそのせいでした。
自分の中に、「火」を「灯」に変えられるものを持っているかどうか。
私は昔はずっとモチベーションを外部から簡単に得れるような「もの」、「人」、「場所」を選んでました。
順番が逆だった、ということにあるとき気づきました。
本当は先に「自分」と向き合って、自分自身の心の声だったり、自分が本当は何を望んでいるのか、どうありたいと思っているのか、自分自身との対話が必要だったんですね。
でも、「自分をやる気にさせてくれるもの」を安易に求めてました。
面白いのが、外から手にしたモチベーションって本当に長く続かないんですね。発火剤に過ぎないで、すぐに火が消えちゃうんです。
で、すぐにまたやる気がなくなっていつもの自分に戻ると、今度は何が起きるかというと、「なんて自分は継続できないんだ?」の自己嫌悪です。
そもそも最初から大したやる気も継続性もなかったのに、安易にモチベーションを外に求めて手にしたつもりが、すぐにやる気を失った挙げ句、最後は落ち込む、という負の自暴自棄サイクル。
これ今思うと、これは本当に辛いものがありました。
そして、また自分に自信をつけようと、外に求める・・・という繰り返し。
外から与えられるモチベーションではなく、内から湧き上がるものをベースにする。
よくサッカーの試合前なんかは、気持ちを高ぶるためにモチベーション映像を選手に見せる監督は多い、と言います。
あれは、短期戦で勝負を求められるからこその最大瞬間風速をMAXにするための仕掛け。こういうのは、必要だなと思います。
でも、だいたい人生で必要だったり、重要だったりするのは、その1日1日をどう過ごすか、っていう部分だと思うんですね。
1日1日を毎日モチベーションだけに頼って生きていくことって正直難しいんです。
人生は長いですからね。
わたしは、「外から与えられるもの」ではなくて、「内から湧き上がるもの」を自分の中に見つけられた時に、安易に外に求めることがなくなりました。
自分の中で、大事にしたいこと、大切にしたいこと。
価値観と言ってもいいかもしれません。目標とは少し異なりますが、自分が他者との関係の中でどうありたいか、という部分です。
ある人から、それは「Being」、つまり「あり方」だと教わりました。
自分の中でBeingを見つけられた時に、モチベーションとの付き合い方が変わりました。
自分のBeingを言葉にして突き詰めていくと、最後は仕事を辞めることになった。
「人の成長の瞬間やプロセスにポジティブにコミットできる存在でありたい。」
以前、自分が興味があると思っていた業界で働いていました。入社後、圧倒的なスピードで成長してやろうと、まさに前述のモチベーションを頼りに突っ走ってました。
しかし、ある難関な資格試験にチャレンジして数年かけて資格を取得したら、きっと社内で圧倒的な存在感になれるのではないか、と考えた時期がありました。
でも、そこに数年もかけて取得するほどの価値があるのかだろうか、とある時考えたんですね。
ちょうど悩んでいたある時、私はこのBeingの考え方と出会いました。
すると、当時自分を掘り下げて出てきたBeing(あり方)がまるで、目指そうとする方向性とずれていることに気がついたんです。
その途端に、まるで空気の抜けた風船のように、私のモチベーションはあっという間に消えていったんです。
分野として興味関心はあったものの、そこを目指して進んでも、決してBeingを実現できる世界が待っているわけではない、ということに気づきました。
それから間もなく、その会社を辞めるという選択をしていた自分がいました。
まとめ
前職で働いていた時って、自分の「こうありたい」「こういう存在でありたい」と心から願うようなBeingを考えながら、1ミリも仕事してはいなかった。
それよりもここでとにかく知識やスキルを身につけて成長して上に行きたい、という変な向上心だけはあったんですが、「それって最終的に何のために?」という最も大事な部分が欠落してました。
本来、仕事や職種って「手段」なんですね。Being(あり方)を具現化するための手段であるべきなんですが、ついつい仕事や職種が目的になってしまった。
自分がどういう存在でありたいのか、という根本的な部分を大事にせずに、前に進もうとしていた。だから、自分の望む場所にいつまで経っても辿り着けなかったんです。
モチベーションを無理に上げようとしているとしたら、目的地のない旅に出ているようなものかもしれません。
現在地もわからず、目的地も把握していない旅は、きっと路頭に迷うことでしょう。
だからいつまでも「ここではない、どこかへ」を繰り返していく。
自分のBeingを言葉にできるようになってから、私は仕事で無理にモチベーションをあげるという必要性がなくなりました。
ただただ、根源的にBeingは「あり方」であり、「願望」なので、そこを目指してただただ自動的に進んでいく感覚です。
日々自分の能力不足を痛感しながら、足りないものを埋めていき、ストロングを伸ばしていく、ということの繰り返しです。
モチベーションに頼らずに仕事ができる自分になると、少なくとも日曜日の夕方が憂鬱でなくなると思います。
Beingは、最新の自分を体現する言葉なので自分がしっくりくる言葉に常にアップデートしていきます。